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2015.02.23 80年ー8
身の回り品だけ持って来ると、じゃあ此処だよと、与えられた部屋は梯子で屋根裏部屋へ、到底歩くことも出来ないのであとは四つん這い。呆然と、暫く座り込んでしまった。与えられたこの環境の中で望みが果せるだろうか不安になった、
案の定不安は的中、特に2,3,4、月くらいと言うが朝7時半から夜10時半まで、その上追込みと称して深夜12時、1時迄その上徹夜作業、兎に角親方が終わりにしよう、と言うまで全員もくもくと働くこれでは夜学など到底不可能とあきらめる。
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昭和55年代のバブル期,都会のホワイトカラーに憧れて、農村地帯から若い人達がどんどん都会に流れ込み、一気に農村部の若い人達がいなくなり、休耕田が増える要因に、i一方都市部ではより良い(仕事)を求め、求人誌を見ながら若者たちが企業を走り回る、彼らにとって良い仕事とは(給料が高い)(仕事が簡単)(通勤時間が楽)のコンセプトでの就活だから職務に対しての興味など殆ど感じられない。従って企業側も中々採用には至らない。   
 あの人達は今どうなっているだろう。

2015.02.09 明眸皓歯
昨年後半、入退院を繰り返している内あることに気付いた。ここは美人の国と言われるだけあって看護婦さん達が皆美人、今、病んでいる80歳の身でも美しい看護婦さん達に囲まれると「ほわん!!」と少しだけでも幸せな気分になるから不思議、ところが10月に入ってすぐ、インフルエンザの影と共に全員マスクそれも飛び切り大きなもの、揚句色白のおでこに切れ長の黒目にあと半分は白いマスク。 あの明眸皓歯の彼女たちも、 おでこと目だけの (でこ目美人)に。はチト可哀想??。
今から40,4,,5年程も前になるだろうか、,当時私の会社は始終人手不足になっていた、私の思惑などとは関わりなく社業が膨らんでいったせいもある。そのせいか当時の「アルバイトニュース」は格好の求人手段ではあったが中々良い人材を確保する事も大変だった。「初めまして、よろしくお願いします」この初対面の挨拶も言えず私が話を切り出すまで俯いている人が殆ど、履歴書をと言われて慌ててポケットから出す始末,この初動態度で殆ど殆ど不採用になってしまう。
アルバイト慣れしている人達だから即決を望むからこちらも採用はできませんねと言うと、そうですかとあっさりと引き下がってしまう。もう35歳にもなって将来目的もなくバイト探しのつもりでこられてはこちらも気が乗らない。
あの人は今どうなっているだろう。
2015.02.04 80年ー7
通い始めて戸惑ったと言うより驚いた、通勤は朝8時半なのだがすぐ住込みしてくれと言われる,住込みは朝7時半始業、終業時間は主人が「終わります」の合図迄、休日は第1第3日曜日だけその上6年間の年季にしてくれと言う,あまりに古い言葉なので咄嗟には返事が出来ない、その上この職場環境ではとても夜間部の学校など無理だな等と考えていると「だめなのか」と畳み掛けられてつい「い、いえ」と言うと、すかさず「じゃあ明日荷物を持ってきな」といとも簡単に6年間の年季という拘束を言渡された。
昭和25年、まだ年季奉公等と言う古い雇用制度が残っていた。
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