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2014.11.14 一寸、変
8月末入院した、主治医から入院して人工血管の手術をC病院でするようにつたえられた、すぐに大学病院に変更を頼んだが大学病院は遅いと言う理由で聞き入れられず、そんなもんかとやむなくC病院へ、入院して驚いた病着に着替える間もなく手術室へこれには私もびっくり、成る程これは速い、透析治療用の人工血管を挿入するのだが、体内に異物を入れるというのに適合検査など無し、5日後に退院、術後4週間をすぎたのに未だ縫合糸は就いたままの生活。
医療技術に地域格差は無くなったと思うのだが、医、の取り組み、術後のケアは格段に首都圏の方が勝る..
まだこの地では医師は先生様,、患者に対して上から目線、それをサポートする看護師たちも何となく習ってしまう。
結果、患者への説明不足が出る、患者の方は先生様の言うことだからと何にも言わない。
私の目からみると実に変な場面に出くわす事がある。用は、医師、看護師、患者三者三様の聞き下手、話下手から来るコミニュケーションのなせる結果だろうと諦めている。  
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2014.11.06 80年-(3)
その後、佐世保から父母の故郷秋田へたどり着いたのは大晦日の3日前だった。
農業県とはいえ終戦直後の秋田はやはり食糧難だった、20才を先頭に6人の兄妹を抱えた母は大変だったようだ。
私はといえば国民学校から小学校の切り替えで少し自宅待機、その後、学制改革のためまた待機、漸く現在まで続いている<新制中学>へ当時はまだ物資不足、試験の答案用紙等は消しゴムを使うと破れてしまう、かなり粗悪な藁半紙だったのが想い出にある。、
2014.11.03 80年(2)
国境の街(現中國東北部)に住んでいたので、ソビエトが参戦の報せと同時に、家族全員が手に持てるだけの荷物を持って家を出たのが8月20日頃、母と私を含めて6人兄妹は中國各地を逃げまどいながらおおよそ3か月半子供ながらもうくたくたになっていた。
長崎に着くと一つ所に集められ消毒と称して全身にDDTをかけられた。お互い全身真っ白にして兄妹どうし大笑いしたのが忘れられない想い出に残っている。
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