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僕の学生1年生は中国、山海闢という万里の長城の起点..片田舎には相違ないのだが、昔は中、満の国境として重要な町の分岐点のようだった。70年以上前のことだが、なぜか部分的にであるが記憶に残っている。父が鉄道員だったのでその社宅に住んでいた、たしか、奥地へ向えば天下第壱関、旧満洲と中國の国境の城門、、海の方に向えば長城の起点が海に突き出ていtた。どちらも子供の足で1時間程の距離だった様に想う。山海関日本人国民学校の近くからだったと思うが長城の起点近くまでトロッコ馬車が領事館専用車として走っていた。領事のお嬢さんが通学用に乗っていたが何度か載せて貰った私たちあの頃の悪がき共にはシンデレラ姫に見えたほろ苦い想い出、真冬海が全面凍結し数人の友達とスケートをして遊んだ事がある。色々ななり立ての学生時代の想い出のなかに時の校歌、多分数年しか唄われなかった校歌だと思うが、 
歴史は古し長城の
あたりに知るき山海関
我が大君の御恵みに
集う我等に幸多し
     見よ校庭の忠魂碑
これぞ我等の鏡なる
○○○○
集う我等に幸多し


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上の写真は「地球はとっても丸い」第7回 万里の長城の先っちょって? – 河北省・秦皇島 からお借りしました。

70年のうすれゆく記憶を手繰り寄せてもここまで、僅か数年の校歌だとおもいますが、どなたか関りのあった方で思い出したら、投稿して下さい。


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日中暇つぶしに見るともなしにテレビを見ていたら、チャイムが鳴ったカメラの画面を覗くと見知った男が二人立っていた2人共頑なに老人会に入るのを拒んでいる立派な老人、よお、まず上がれよ、と招き入れると、いや、暇を持て余したからビデオを持って遊びに来たと言う。なんだ男子専用かと聞くといやいや大丈夫と言って見せたのが「剣客商売」という時代劇、
三人共静かに1本見終わると1人がどうおと言う、何が、だからさ、あんな若い年下の嫁さんを持つと、と言う、主人公の秋山小兵衛、おはま、を我が身に被せていたのか、やや上気した顔つき、なに言ってんだよと一人が言うと三人同時に、あははと大声で笑った。三人三様、同じ様な事を考えていたらしい。
2014.08.06 もうすこしⅡ
病院へ駆け付けると妻は既に意識が無く、いやいやをする様に首を左右に静かに動かして、呼びかけにも反応がない。
私はただ、茫然と為す術がない。きっと病という魔物がしきりに手を引いてjるのだろう。見つめて⒥るうち今日の日中以前の色々な想いが巡ってくる。特に妻にとって最期となったこの病院では、看護婦さん達には職業以上の言い尽くせない程の親切の数々、私共々妻も天国で大感謝でしょう。
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親切にしていただいたホスピスさん
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ドックセラピイと遊ぶ

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人生最期の買物はソフトクリームでした


以前公開した「病がヒトをつれていく」の後、なんとなく物足りなくて叫び声をあげたかったが、いつまでも想い出を追うことはこれで終わりにし残りの人生は天涯孤独の覚悟をしよう。
もう少しごめん。
2014.08.06 もう少しⅠ
2013年12月8日、日本の開戦記念日だが私には別の意味でどうしても中々忘れられない日になっている。その日は日曜日..透析治療のない日なので朝から妻の病院へ、もう自力で動けなくなっているいるのだが今日は珍しくパチリと目を開けて迎えてくれた。「おっ、今日は調子がよさそうだね」出来るだけ明るく振舞う「ウン」目で返事をする、「今日は日曜日だから一日居られるよ」すこし嬉しそうな顔になる、つられて笑顔になる。素直に嬉しい、このままでいいからずっと居てほしい、長年連れ添った高齢夫婦の他愛ない無言の会話。特にもう声の出なくなっているので語り掛けるのは全部私「何でも、うん、なんだね」「ウン」目に涙を浮かべる、気丈に生きてきた人、話せない身がよほど悔しいのだろう。
「もう、暗くなってきたから帰るね」「ウン」涙をふいてやる、つられた私はようやく涙をこらえる。病室を出る背中に強い目線を感じながら病室を出た。
夜半まるで予期して居た様に病院から電話「奥さんの様子が変わりました、何時もと違いますので」全部を聞かずに「はい、すぐ行きます」病院へ走る。
数年前、青森県の国道339号をひたすら北上したことがあるドライブ、好きの私には取り立てて余り見るべき物のないコースだが、やがていきなり目の前が開けそこは11月初旬というのにもう真冬、と風の音だけがもの凄くしかも目先はもう崖、そのしたは荒狂う津軽海峡、まさに日本国本土はここで終りの感。
しかも、その国道339号は、なんとこの部分は階段、れっきとした国道しかし車は走れませんのでやむなくユーターン。

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2014.06.27 限りある生命
生物には当然だが生命がある、植物とくに樹木に比べヒトの命は短い、500年1000年と人間に比べ、ど肝樹を抜く老木を何度か見たことがあるが鳥肌が立つような感動を覚えたことがある。
ヒトがあのくらい生きたらどんなだろう、物語に出てくるような仙人の姿が思い浮かぶ、魔術を使えればよいが現実にはありえない。私が透析治療をしている病院、見たところほとんど後期高齢者、しかも5,6割の方達が介添歩行か車椅子、自分も早晩ああなるのかなあ。それにしても家の近くにある桜100年近くになるはずだが、まだまだ見事な花を咲かせていたなあ。
齢をかさねる程、体が動きにくくなるが、生活不活発症候群など吹っ飛ばしてまだまだ頑張って生きよう。
2014.03.07 ひとりごと
なにを書いたらよいですか。ブログ初心者には難事業
わたしにとって[名もない山]は山に
失礼、ですネ。だって威風堂々、われこそやまのなかの山、と、どなっているように荒々しい。
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2014.03.04 ぶろぐ勉強中
まだわからない
高齢者にとってカタカナ言葉は難解、四十の手習いならぬ八十の手習い。
体育系はもうだめ、指ならまだ動くだろうと今度パソコンに挑戦。

老いぼれた指をもさもさと、キーボードの上を這わせて頑張るぞ。
手始めに、秋田生まれの、東京育ちが過ごした秋田の冬は・・・・

北国の冬は、ひとたび雪に見舞われると、一面モノトーンの世界になる、
人々はシンと静まり、うつむいてもくもくと歩く、風だけが雄たけびを
あげる。それだけに春は嬉しい、とにかく嬉しい、大地に感謝。


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